東京地方裁判所 昭和51年(ワ)10936号 判決
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航空自衛隊員が海上における救難訓練に参加中溺死した事案
【判旨】
一亡義は、航空自衛隊員として、昭和四二年八月一一日、愛知県蒲郡市西蒲町南方海上二キロメートルの地点において、航空自衛隊実験航空隊司令の命令によつて実施された救難保命訓練に参加中死亡したこと、右訓練は落下傘離脱法、保命器機の使用法及び救出の訓練を目的とするものであつたが、右事故は、右訓練の一環としてなされた救出訓練中に発生したものであり、右救出訓練は、海上で漂流中の被訓練者をヘリコプターで吊り上げ、救難用の船(本件では巡視艇)付近まで運び、その付近海上に吊り降ろし、被訓練者は着水して吊り環から離脱後巡視艇まで自力で遊泳し、巡視艇に収容される動作に関するものであつたところ、亡義は、右被訓練者の一人として、一旦ヘリコプターに吊り上げられ、その後巡視艇から約一〇メートルの地点に吊り降ろされ、着水した後、自ら吊り環から脱して巡視艇に向つて泳ぎ始めたが、まもなく海中に没し、溺死したものであること、亡義は、死亡当時航空自衛隊実験航空隊に所属し、整備関係を担当する技官であり、国との間に雇傭関係があつたこと、本件救難保命訓練は、実験航空隊司令小川一佐の命令により、国越二佐が訓練指揮官となつて、現地において教官・救命装備隊を指揮して航空技術隊及び整備隊員に対して行なつたものであり、右小川一佐及び国越二佐の行為は公権力の行使にあたる公務員の職務の執行であること、亡義は、昭和一四年一二月三日出生し、昭和三三年三月高等学校を卒業後、航空自衛隊の技手に採用され、実験航空隊に所属し、航空機の整備を担当していたが、その間昭和三九年三月大学を卒業したこと、亡義は、死亡当時二七歳であり、国家公務員行政職俸給表の行(二)三等級七号俸の俸給(一ケ月金二万九三〇〇円)を受けていたこと、原告らは亡義の父及び母であること、以上の各事実については当事者間に争いがない。
二そこで、右事故に関する被告の責任について検討する。
まず、前記争いない事実に、<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 本件訓練は、航空機が海上に不時着した場合等を想定しての救難保命訓練であり、当時毎年繰り返し実施されていたものであり、訓練対象者に対しては事前に訓練内容が告知されていたことから、亡義はその内容を十分知つていたし、また本件事故当日も訓練に先だつてその内容の説明を受けた。
2 本件訓練実施に関する命令が出された後、昭和四二年七月一二日ころ、海上保命法についての座学が行なわれる一方、水泳訓練もしておくようにとの指示がなされ、亡義はそれに従つて、体育の授業は勿論、授業外においても隊内にあるプールで水泳訓練をするなど本件訓練のための準備をしてきた。また、本件事故前日においても、被訓練者全員を集めて、水泳訓練が三時間程度行なわれた。このようにして、訓練前の事前教育は四回程度実施されるなど、その実施に当つては綿密な計画立案がなされ、それに従つて準備がなされた。
3 亡義は、本件事故当日の午前九時ころから保命訓練の一部である落下傘海上離脱訓練に参加したが、当時、被訓練者二四名に対し、一八個の救命胴衣しか用意されなかつたため、亡義は今回が初めての訓練であり、同人とペアを組んだ訴外城はパイロツトとしてベテランであつたことから、亡義にのみ一人用浮舟と救命胴衣が支給されたため、同人は、支給された救命胴衣を装着して、落下傘離脱法の訓練に入つた。
4 亡義と訴外城は午前九時二〇分ころ、それぞれ別の巡視艇から同時に海中に飛び込んだ後、亡義は支給された一人用浮舟を展開しそれに乗り込み洋上漂流し、他方、訴外城は救命胴衣及び一人用浮舟を装備していなかつたため、亡義の浮舟のそばの海中で救助を待つていたが、二〇〜三〇分位すると体が冷えてきたため、亡義から同人が装着していた救命胴衣を借り身につけて漂流した。
5 その後午前一〇時ころ、漂流中の隊員を吊り上げ救出する救出訓練を行うため、救助用ヘリコプターが亡義らの所に飛来し、先ず海中にいた訴外城を吊り上げ救出し、停船中の巡視艇の近くの海上に同人を吊り降ろしたところ、同人は右巡視艇に泳ぎついて救助された。続いてヘリコプターは、浮舟で漂流中の亡義を吊り上げたが、この時同人は城二尉から救命胴衣の返還を受けていなかつた。吊り上げられた亡義は、ヘリコプター内において、メデイツク(救難降下員)から吊り降ろしに必要な手順の説明を受けるとともに、「救命胴衣をつけていないが大丈夫か」などとジエスチヤーまじりで尋ねられたところ、同人は大丈夫である旨答えたため、メデイツクは吊り降ろしの作業に入つた。
6 機内でこうした説明等を受ける間も、亡義はメデイツクに何ら不安を感じさせる態度を示さず、その行動は自信にあふれており、着水して吊り環から脱する手順も極めて冷静沈着に行なつた。
7 亡義は、巡視艇から約一〇メートルの海上に着水した後メデイツクに大丈夫との合図を送り、吊り環から脱し、救難用の巡視艇に向つて二、三回平泳ぎの格好で泳ぎ始めたものの、すぐに手を上げるようにして海中に没し始めた。
8 巡視艇上で異常を察知した訓練指揮官の命令で巡視艇にいた同僚二名が救助のため海に飛び込み、亡義の救助に向つたが、救助員が到着する前に亡義は海中に沈んでしまい、救助することができなかつた。
9 亡義は、同日午後一時五三分ころ、溺死体で発見された。
10 事故当日の天候及び海象状況は、雲低三、〇〇〇フイート、雲量一〇分の四、視程四マイル、風向三〇〇度、風速二ノツト、海水温度二七度、風浪一で良好な状態であつた。
11 また、亡義の当時の水泳能力は、一〇メートル内外であつた。
以上の事実によれば、本件事故の原因は、亡義が、本件訓練に際し、救命胴衣を支給されていたにもかかわらず、これを城二尉に貸与したままその返還を求めず、ヘリコプターから海上に吊り降ろされるにあたつて、メデイツクから救命胴衣なしで大丈夫かどうか確認された際に拒否することなく、自らの意思により救命胴衣なしでの吊り降ろしを了解し、吊り降ろされたことにあるというほかなく、本件事故は、ひとえに亡義自らの過失によるものというべきである。
なお、原告は、亡義が救命胴衣なしでの吊り降ろしを了解したとしても、被訓練者の立場としては、吊り降ろされる直前になつて救命胴衣がないことを理由に訓練を拒否することは困難である旨主張するが、証人平峯信則の証言によれば、当時亡義は救命胴衣がないことを理由に吊り降ろされることを拒否する自由を有していた状況下にあつたことが認められるのであつて、亡義の死亡の原因が同人にあることを否定することはできない。
(柳川俊一 石垣君雄 松嶋敏明)